もどる


五つの指の庭に住む月の娘
Last Night I had The Strengest Dream

遊就館に行こうと思う。
ボクは靖国神社で彼女と待ち合わせをした。
晴れた空にハミ出したような巨大な鳥居を見上げていると、何だか螺旋迷宮につかまってしまったような気がして、ぐるぐると目まいがする。
遊就館の冷たい館内には、さびた砲弾や古い軍服を着たマネキンがたくさん立っていて、僕たちはこだまする部屋の中で爆裂三勇士の事などについて楽しく語り合った。
彼女はそれから、鳥達の棲むところよりもはるかに高く、爬虫類や水辺の植物に囲まれた五つの指の庭に棲む月の娘のことを話してくれた。
帰りのメトロのホームの天井から落ちてくる水の音に彼女は、木の中刺す魚の気配を感じると言ったけれども、何の事だかわからない。
「それよりも今度、柳水華苑に行こうよ、ねえ?」
「何?」
「ヤキニク屋さん」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

メトロの窓の外の景色はいつも同じでステキだわ。時々通り過ぎる蛍光灯のあかりが、セントエルモの灯の様だと言ってたのはペリザンナだったかしら。蒼白い蛍光灯のあかりがストロボのようにボク達を照らす。
「キオク」
「記憶?」
「そう、キオクなんてメトロの壁に書かれた落書きのようなものだわ。だって見ようとしなければ見えないし、見えたって薄暗くてハッキリしない・・・」
ボクは思いだした夢の中の話を始めた。
目覚めているときのキオクも、夢の中のキオクも、どちらも同じメトロの壁の落書き。
ああ、そうだ。紙の家に住んでいたころの君は、最後に時の舞踏をもう一度、いや、何度でも踊っていたね。そうして踊り疲れた夜に君は、花粉のように風に吹かれてどこかへ飛んでいってしまった。
ボクはひとりだ。

白いスクリーンに映し出されて行く二次元の現象は、メトロの壁の落書きを照らし出すライムライトのあかり。飛び散った花粉は、ひとつひとつセルロイドの上で粒子となって、体内のナビキュラをシゲキする。
夢の中のキオクのような不思議なイリュージョンに、出会えることのできたあなたとボクにお目出度う。




【かいせつ】
この文章は1989年1月から3月にかけて、東京・京都・札幌・福岡で開催された映像作家・浅野優子氏の個展「浅野優子映像遊覧展/五つの指の庭」のパンフレットのライナーノートである。お気づきかと思われるが、文中に出てくる不思議な「コトバ」は、実は浅野優子氏の映像作品のタイトルである。
つまり、ライナーノートのなかに、ぼくは作品名を織込んでみた、いわゆる実験的な文章でもある。まあ、このほうが浅野さんの不思議な映像にマッチすると思ったからだ。 他にもパンフレットには映像評論家の西嶋憲生氏や、ミュージシャンの原マスミ氏が書いてたりしてたんだけど、ははは、みんな内輪だったりして・・・。
なお作品中「木の中刺す魚の気」というタイトルは、良く出来た回文である。

念のため、以下に「五つの指の庭」で上映された作品のデータを並べておくので、上の文章と見比べてみてください。

●上映作品
in dark trees 1978
水の音  1980
西のマントラ 1981
晴れ  1982
時の舞踏をもう一度 1984
ナルコレプシー  1987
BAMBINO  1982
螺旋迷宮  1982
柳水華苑  1985
紙の家  1986
水辺の植物  1986
爬虫類  1987
五つの指の庭  1988
月の娘  1983
鳥達の棲むところ  1983
木の中刺す魚の気  1985
7/6の果実  1988



浅野優子プロフィール
http://www.netlaputa.ne.jp/〜afg/Animation/AsanoProf.html
浅野優子フィルモグラフィ
http://www.netlaputa.ne.jp/~afg/Animation/Art_Animation.html




1998年 MacFan誌(毎日コミュニケーションズ)

レビュー&ニュープロダクツ


●どうでもいいからお絵描きするならコレにしなさい!

キッドピクス98

世の中不況だろうが大魔王が空からやって来ようが、パソコンでお絵描きをするならこいつに限る。使うのが目的ではなく創るのが目的の永遠の定番。バージョンアップしてもほとんど変わる必要がないのもスゴすぎ!


●ごめん!

 まず最初に謝っておきます。ごめんなさい。
 さあ、謝ったからもうオッケーだ。不肖まつばら、キッドピクスに関してはヒイキします。だってイイんだもの、絶対。いやあ、世の中絶対なんてのは数えるほどしかないけれど、その中の一つがキッドピクスなんである、いや本当。
 余談だが、僕は大阪のMacFanEXPOで、キッドピクスの作者であるクレイグ・ヒックマン氏と会いました。少しお話もしました。握手もしました。僕の単行本「コンビニお絵描き教室・キッドピクス3.0J」を観てもらいました。スゲエほめてくれてサインも貰ったですよ。名刺を交換したらクレイグ氏の名刺が手書き風で、まるで「まつばらあつしが作ったような」名刺だったので、大笑いしました。
 なんて、最初から余談とはソフトウエアのレビューらしからぬ出だしだが、これからわずかの間、キッドピクス98についての話をしてゆくことにしよう。

●変わらないこと

 世の中にはたとえ百年経っても変わらないものがあると思えば、たった半年でどんどん変わってゆくものもある。半年サイクルでばんばん変わる代表のパソコン界にありながら、もしかしたら百年経っても変わらないんじゃないかってソフトがある。その代表がキッドピクスだ。
 これから紹介する「キッドピクス98」は当然のことながら、最新の、今年発売されたキッドピクスなのだが、ちょっと画面を見ていただきたい。サンプルは1989年に発表された「KIDPIX」のファースト・バージョン。モノクロ画面の、しかもこれはパブリック・ドメインとしてパソコン通信上で配付されていたのである。
 いかがだろうか?この画面を見ただけでも、9年前のキッドピクスと今のキッドピクスがほとんど変わっていないことが判ると思う。もちろん今ではカラーは扱えるし画面のサイズも大きくなった。が、それは単にMacがカラーを扱えるようになったり画面が大きくなっただけというハードウエア的な問題点であり、KIDPIXの本質はほとんど変わりがない。
 で、その変わらない本質とは何か?
 それはいつのバージョンのマニュアルにも書かれている巻頭のパブロ・ピカソの言葉「すべての子供はアーティストである。問題は成長してもアーティストのままでいられるかである」に集約されている。KIDPIXはその名の通り、そんなアーティストのためのお絵描きソフトなのだ。そして作者であるクレイグ・ヒックマン氏の想定する子供の年齢というのが「幼児から老人まで」。なんちゅうアバウトな。でもまあ、これを読んでいるたぶんアナタは、アーティストの素養を持った「子供」なのだと思う。

●Macにとっての鉛筆と紙

 今まで何度書いたが知らないが改めてまた書くと、我々が普段使う鉛筆とか紙はここ百年ほど劇的な変化をみないでいる。それは鉛筆も紙もすでに完成の域に達しているからであって、急激な進化の必要がないからである。
 キッドピクスも鉛筆や紙と同じで、生まれたときからすでに(今と同じようなカタチで)完成の域に達していたのだ。だから急激な進化は必要がない。ハードウエアが劇的に進化しようと関係がない。
 事実、最新のキッドピクス98も、最初のKIDPIXも同じG3Macで楽しむことが出来る。キッドピクスはMacにとっての(お絵描き用の)鉛筆と紙のように、いつも一緒にいるのだ。そして使う我々の想像力をカッチリ受け止めてくれる巨大な器でもある。鉛筆と紙が使い方次第では無限の可能性を秘めているのと同じに。

●中身を紹介するんですけど・・・

 おおっと、なんか感傷的というか精神論みたいにエラそうな事書いて原稿半分つかっちまった。いやあ、年取ると説教臭くなってね、申し訳ない。
 ええと、ハードはMacOSでもWindowsでもWinNTでも何でもイイ。Beはダメだけど。ついでに言えばCPUの性能も特に考えなくてイイ。高かろうが安かろうが店で売っててCD-ROMドライブが付いている、あるいは付けられるパソコンならたいていは大丈夫。いいですか、これはデタラメじゃなくて本当だからね。
 まあ、いずれにせよハードのスペックはどうだってイイ。
 いやあ、懐が深いというか、太っ腹というか、無節操というべきか。キッドピクスはこんな感じの敷居の低いバリアフリー(?!)なソフトウエアだ。
 さて一転、ソフトを起動すると従来のキッドピクサー(←新語!)びっくりのスカイブルーの起動画面。従来のイメージカラーであるライトグリーンからなぜかチェンジ。実はこのイメージカラーの変更がいちばん大きな変更点かもしれない。
 正直言って作業画面になっちゃえば、色が付いている以外は9年前とほとんど変わりがない、いつものキッドピクスの世界。鉛筆も消しゴムも、不思議な筆もバケツ缶も、スタンプも取り消し君も相変わらずの姿を見せる。
 あとは自分の思うままに、好きな道具を使って好きなものを描けばいい。お習字しても構わないし、スタンプで無理してラブレターを書くのもイイだろう。子供にマウス持たせて適当にいじらせれば芸術作品だってお手軽だ。
 何何をしなくてはいけない、こうしなきゃダメだ、なんて言う制約はほとんどない。本当に好きなことをして構わない。それがキッドピクスのいいところ。最低限パソコンの基本操作をマスターしてあれば、それだけでオッケー。

●新機能にまつわるエトセトラ

 キッドピクスはそれでも、少しづつ新しい機能を追加して、たくさんのユーザーの創造力にターボチャージをかましたりもする。
 キッドピクス98に追加されたターボチャージャーは「バーチャル・ペインター」と「TWAIN&プラグイン」でのデジタル画像入力機能だ。
 バーチャルペインターは直訳すれば「仮想塗装屋さん」。これは描いたイラスト、あるいはデジタルカメラなどから取り込んだ写真に「色鉛筆」、あるいは「水彩画」風のタッチを与える「プラグイン・フィルター」の一種だ。出来具合はサンプルを観ていただければ判ると思うが、結構ナチュラル。クリックだけで「変換」出来るのもいいし、楽しいインターフェイスも悪くはない。
 「TWAIN&プラグイン」は流行のデジタルカメラやスキャナから画像を取り込むためのソフトウエアと考えれば外れではない。他のソフト経由ではなくダイレクトに取りこめるようになったのが便利。
 あと、筆圧関知も出来るようになったので、タブレットで描くといい具合。

●再びごめん

 あいやー、読み返してみるとこりゃなんだか製品レビューというよりも、デキの悪いラブレター。生身の人間に対するラブレターとは当然違うけれど、気持ちは同じかも。たまにはこうして自分の好きなソフトを好きなように、好きなことを書くのもイイかと思うのだが、読者の皆さんは許してくれますか?。
 それに多分キッドピクスを買う人は、最初から「キッドピクスを買うぞー」と思っている「成長してもアーティスト」でいようとする人たちであって、それ以外のヒトは興味を持たないか、なんだガキのお絵描きじゃんって軽くあしらう。
 だから僕はキッドピクスを持っているヒトや、これから「買うぞー」と言う人たちのために、このラブレターを公開する。だからいいでしょ編集長、コレ載せて。今度メシおごるから。

Fan`s Eye
★★★★★
ヒイキしてるので当然の五つ星。MSエクセル・PhotoShopと同じように、Macがあったからこそこのソフトが出来たと言いきれる記念碑とも言うべき逸品。お値段もお手ごろ。

【かいせつ】
このころはまだ、レビューでもこういう文章を書かせてくれたんだけど、最近の編集者はこういうのかかせてくれないんだよね〜、って、愚痴ってどうする(笑)。自分で言うのもなんだが、こういうの書かせればボクはかなりのもんだと思うのですが。あ、あだから売れないのか....。


1994年 CD-ROMFan創刊号 CD-ROMレビュー

以下の数編は、CD-ROMFan創刊時より、一年半連載していたCD-ROMのレビュー記事のいくつかである。全部載せると膨大になるので一部だけね。映画評とかもやってたのだけれど、まあ、それは追々公表してゆこうと思います。
まだ、文章読むと青かったのねーと、思いますね。


94/03/18
ベストタイトル・アダルト系の巻

◎「AMERICAN GIRLS」 ニューマシーン・パブリッシング
 輸入版で申し訳ないが、J.STEPHEN HICK'S というカメラマンの写真集。タイトルの通りアメリカの超ド級のお姉さんのきれいな写真がスゲエたくさん詰まったCDである。はっきり言ってプロの仕事。いまだ大艦主砲主義を貫いているのがよーくわかるペントハウス系の写真だが、ストレートにいやらしいのではなく、いやらしさをイメージさせる作品が見る人の海綿体をシゲキする。もちろん海綿体の無い人も楽しめる美しさがあるから、彼女や奥様にも安心。

◎「ORENGES」 ドライアイス
 30代の男性諸君はこれを買わなくてはイカン。特に夜遅く自動販売機でエロ本を買った経験のある方は、あのころの愉しさというか、せんずるむなしさというか、懐かしさで下半身がいっぱいになるはずだ。あのアリス出版(たぶん)のエロ本(の中身だけ)が帰ってきたのだ。当時から美少女系に強かった業界大手のアレですから、もうキてます。少々綺麗にまとまり過ぎの感もあるけど、やっぱりイイすよ。今となっては大した事ないけど、イイっす。

◎「Alice」  東芝EMI
 ちょっと古いけど、いまでも観る価値のある逸品。個人的には最近のAV系のCDみたいにストレートにセクシュアルな画面を見せられるより、セクシュアルなイメージを想像させるビジュアルのほうが、脳髄にビンビン響いてくるわけで、たしかにセックスシーンやオナニーシーンは一人で観る分には実用的で扇状的だけれども、エッチなキモチをムクムク呼び起こすこの「Alice」のような作品の方が、実際セックスするときのアクセラレータ(単にハヤくなるというイミではない、念のため)となって、イイですから。

◎「OLIVIA De Berardimis」 ガゼル・テクノロジー
 これも古いけど、やはりシビレますね。これも決してストレートな表現では無いけれども、みているとイヤらしい気持ちがムクムクと湧いてきて、誰もいなけりゃ棒液摩擦、相手がいれば戦線布告で一戦交える。と、まるで現在の日米関係みたいだが、まあいいか。なんとなくヌメヌメした感触がマウスを握るてのひらに伝わる感じで、まあエッチ。単に汗かいただけだったりして。触感的な一枚。

◆最近のインターアクティブなアダルトCDは、嫌いではないが、もういいよって感じ。確かに実用的ではあるけれど、椅子に座って机の上のパソコンに向かって、右手はマウス、とくりゃ、どうすればいいんだろう?実用性や画質の点で、まだまだアダルトビデオには追いつけませんね。インターアクティブでゲーム性の高いものなんかは、これからもっと面白くなるでしょうが、まだまだって感じです。だからこそ、ダイレクトなエッチではなく、エッチなイメージを脳髄に染み込ませるようなCDが好きです。すぐには役に立たないけど、後でとーっても役に立ちます。いろんなものがビンビン立ちます。


まつばらあつし
東京生まれ。落ちつかない性格と気の短さがとりえ、色の黒い下町ライター。

 

【かいせつ】
10年もまえだから、まだCD-ROMが普及し始めの頃だ。「インターアクティブ」だなんて言葉使ってるけど、今の言葉にすれば「インタラクティブ」。なんかスカしてる感じがするなあインタラクティブ。
でも、文中紹介している「Alice」は、黎明期屈指の名品だと今でもおもうです。


94/04/03
「仮面ライダー作戦ファイル1」〜知られざる闇の組織によるライダー抹殺用作戦解析ファイル〜

 世界征服を企んどきながら、近所のガキをさらうなどのセコい悪事で仮面ライダーにツブされた悪の組織「ショッカー」。その残党がボクを幹部に抜擢し、新しい怪人でライダーを倒せ!と命令する。というのがコンセプト。なんだけど、弱そうな怪人任されてライダー倒せって言われてもねえ。幹部とて中間管理職、ボーナスの査定もあるから一生懸命がんばったですよ。しかし、どいつもこいつもマッタク。怪人は簡単にやられるし、企みはバレるし、首領は怒るし・・・。モンクいうなら、好きにやらせてくれればいいじゃねえか。いつも妙な怪人押し付けやがって。

 それよりも、あの「イー」とかいって出てくる戦闘員を一万人作って、ライダーを襲うってのはどうでしょう首領。いくらライダーでも一万人いればもうボコボコですぜ。安上がりだし。

 だめ?幹部は黙っていうことを聞け?そんなあ。失敗が続くと首領が激怒してプレーヤーであるボクを抹殺、つまりゲームオーバー。強制終了した挙句、ごていねいにCD-ROMもべーって吐き出される。おまけにボクの660AVなんてそのままフリーズしちまいやんの。徹底的です。

 というわけで、悔しいので来月もう一度報告します。次は完璧にライダーをシオシオのパーです。括目して、待て次号。


【かいせつ】
で、下の文に繋がるという、連載レビュー(笑)。当時のCD-ROM Fan編集長は、よくこんなの許したよなあ。担当者はおもしろがってくれてたけど。


94/04/20
「仮面ライダー作戦ファイル1」〜知られざる闇の組織によるライダー抹殺用作戦解析ファイル〜

悪の組織に青春をかけよう!幹部候補生募集中!

◆職業=正義の味方(実は自由業)
 仮面ライダーは職業としての正義の味方において、最後の「職人」タイプのヒーローである。つまり個人経営の仕事として本郷猛や一文字隼人は正義の味方を営んでいたのである。
 ライダー以後、正義の味方はゴレンジャーからセーラームーンSに至るまで、団体正義の味方システム、つまり「会社」タイプのヒーローが主流を占めるようになる。世の中がシステマティックに進歩するに従って悪の組織も高度に進化し、正義の味方といえども個人経営ではたち行かない時代になってきている、といえよう。今の日本の社会情勢を考えればもっともなことである。
 さて、この団体正義はたいていの場合、悪の組織がなぜか小出しにする悪者を、みんなでよってたかってイジメる方法が一般化している。これは「一人ではかなわなくても、みんなで力を合わせれば倒す事が出来る」というクサイ民主主義的テーマに基づくもので、団体が執行する正義というタテマエにおいて、そのような手段が正当化されるのは先の湾岸戦争でも実証されている。
 この話は別の機会にするとして仮面ライダーである。ライダーはスーパーマンや月光仮面などを初めとする職人型正義の味方の、おそらく最後のタイプである。
 前置きが長かったけれどゴメン、僕はリクツっぽいんだ。

◆顔色の優れない死神博士
 で、このCDは大きく2つのパートに分かれている。一つはライダーやその周辺、及びショッカーとゲルショッカーという悪の組織に関する極めて詳細なデータベース。もう一つは、ユーザーが悪の組織の幹部となり、新しい怪人を使って仮面ライダーを倒すというシミュレーションゲーム。
 この二つ、それほど密接に連動しているわけではない。というのも、シミュレーションゲームとは名ばかりの、実はコマンド選択式のアドベンチャーに近く、プレーヤーは首領の企んだ計画や作りだした怪人を選ぶだけであり、自由度が低い。自分の意志や行動はゲームにあまり反映されず、選択した命令の正否を確かめることでゲームは進行する。だから、いくらデータベースで弱点を研究しても役にたたない。おまけにライダーはめっぽう強い。計画の9割は失敗するし、新しい怪人の9割は弱い。要するに首領は無能で、部下は役たたず。ごくまれに成功する事もあるが、それはライダーが不在とか、ライダーに直接手を下さない計画のときで、真の目的であるライダー抹殺作戦はなかなかうまく行かない。
 これはつまるところ、会社(=悪の組織)における中間管理職(=幹部)のシミュレーションになっているわけで、経営状態のよくない社会の大変さ、難しさを味合わせてくれる希有な存在である。どこの世界でも中間管理職ってのはツライね。毎週僕たちが忌み嫌っていた天本英・・じゃなかった、死神博士や地獄大使などのショッカーの幹部達は、実は無能首領と役たたず怪人の間で大変な毎日だったのか。道理で幹部達は胃が悪いような顔色をしていたわけだ。
 ま、会社組織に属する幹部が、個人経営たる仮面ライダーに勝てないという、組織化・画一化の進んだ日本的社会に対する一種のアンチテーゼとして捉えることのできる、なかなか奥の深いソフトといえる。かもしれない気がする(笑)。

◆本当はこれだけで十分か?
 さて、一方のデータベース、実際の所こちらがメイン。
 怪人別・計画別・ライダー別など、様々な角度から様々なデータを引き出す事ができる極めて便利な代物だ。役にたたないけどね。たいていのデータは何かしらリンクしており、例えば被害者の名前(そんなのまでわかる!)からその時のショッカーの企みや怪人のデータ、さてはライダーがその怪人を倒したときの技まで調べる事ができ、さらには音声データや、短いながらもQTムービーも楽しめる。じっさい昔ライダーに熱中していた人ならば、一晩中いじくりまわしても飽きない豊富なデータは、オタッキーというレベルを越えて何か学術的。さすが本家東映。もう、アッパレと日の丸ウチワを振るしかない。
ぱたぱた。

【かいせつ】
続きは意外と真面目に書いているですね。まとめ方がかなり強引なのも、チカラ技的。
まあ、こういうソフトを大手の東映が出していたと言うのも、いまでも想像がつかないんだけどね。


94/03/23
「高校教師」「ウルトラマン研究序説・完全映像版」

◎京本正樹ご推薦(推定)、TBSネタのCD-ROM2枚。

◆食わず嫌いでゴメンナサイ
 負けました。いや、CD-ROM版「高校教師」のことなんだけど、何をいまさらと思っていたんですよ実は。放映された全11話のシナリオというけど、TV観ていれば内容なんか判るんだし、ハイライトシーンのムービーが入ってるといっても、クイックタイムのチマチマした画面に眼を凝らすなら、ビデオ借りてみた方が画質もいい。わざわざ製作元のTBSがCD-ROMにする事ないだろうって気持ちで観ていたら、ワタクシ負けました。いや、コレ結構いいですよ。
 「高校教師」はキリキリ痛い純愛ドラマである。だいたい恋愛、それも純愛までイっちゃうと、第三者からみればちょっと常識を逸脱したヘンな奴らにしか見えないうえに、教え子との禁断の愛・レズの先輩・熱血浪速教師・エッチな婚約者・レイプ教師・近親相姦・森田童子と、まともな人があまり出ないヘヴィでハードなドラマだ。まあフツーの奴らが出てくるフツーのドラマなんてフツーは面白くもなんともないから、「高校教師」はスゲエ面白かったわけで、そのインパクトをCD-ROMにするにはどうしたらいいかという問題をどう解決したかというと、それがエキスパンドブックというパソコンで読む「本」というワケ。
 まあTV映像を丸ごとクイックタイム・ムービーにすれば簡単だろうけど、どんなに面白いドラマだって、小さな画面で何回も観ると飽きる。それよりもシナリオを読ませれば、読者の頭の中で真田君や桜井ちゃんが自在に活躍するのが楽しめるし、ムービーやスタッフの話などを入れておけば、役者の姿カタチ、雰囲気なんかもフォロー出来る。と、いや実にうまくできてます。ほんと。ユーザーの想像力というか、映像的イメージを湧き起こさせる作りは、映像主体だとどうしてもそのイメージに片寄りがちになって、2・3回観たらもうイイなんて事がナイ。なにしろ基本は「本」なんだから、観る度に新しい発見や違うイメージを(アナタなら)感じとる事が出来るはず。
 唯一の欠点といえば、観終わったあとの後味の悪さかな。口の中がねばねばしそう。TVでもそうだったけど、そこがいいのかも知れない。マゾね。

◆ウルトラマンでマジメに遊ぶ  
 かわって次は「ウルトラマン研究序説・完全映像版」。なんか仰々しいタイトルだが、中身は完全なお遊び。それも壮大でマジメなエッチじゃない大人のオモチャ。 
 ベースは2年前にベストセラーとなった同名の書籍。それに若干の改訂と、怪獣などのデータやクイックタイム・ムービーを加えたもの。だから「完全映像版」。
 やはりエキスパンドブックで作られているが、「高校教師」と違って、ウルトラマン本編のストーリーとかシチュエーション説明などいっさいナシ。作品ガイドにもならないし、製作ウラ話とかスタッフの証言なんかも全然ナイ。
 中身はウルトラマンという虚構の世界を超マジメに考察したもので、怪獣の「人権」とか、怪獣の死体処理は誰が行うのかとか、ウルトラマンは建造物破壊の刑事的責任を負うのかなどの、ばかばかしくもハテナに思うテーマを、そのスジの研究家・専門家が真摯な態度で論じる研究論文である。要するに虚構の世界で遊ぶ一種のシミュレーションと考えるべきだ。
 正直に言えば、ぶっ壊したビルの刑事的責任がどうした、バルタン星人の大量虐殺だなんて気にするな、みんなスペシウム光線でいてまえ!と、純粋に楽しみたい人には大きなお世話にだけれど、お遊びだからまあイイか。ばかばかしい事を大マジメにやるってけっこう面白いものね。
 インタラクティブに閲覧できる怪獣のデータやクイックタイム画像は確かに魅力的だが、個人的には、当時ノンスメルを買うとくれた「怪獣トランプ」の方がボクはいいなあ。チープな絵とガマクジラのような弱い怪獣が2や3の小さな数字だったのが印象的。
 コンセプト自体が壮大なお遊びなのに、大マジメにやりすぎたおかげで、ちょっと内容がオタッキー。ウルトラマンの持つうさん臭さというか、魅力の一つであったチープな設定やシチュエーションがバッサリ切られているのがキビシイけど、「高校教師」ともども京本正樹さんがおススメしそうなCD-ROMではあります。

【かいせつ】
ここで紹介しているのも、黎明期の名品でしょう。見る眼が高かったぞ、オレ(笑)。
エキスパンドブックは現在も現役のソフトウエア。本を読むと言うこ行為をおおむね忠実に再現してくれる。その試みはようやく今になって広まりはじめそうな予感ではある。


94/05
「HIP555」

◎概念としての巨乳とお尻の関係

◆感覚としてのお尻
 巨乳という概念。解説するのもナンだが要するにボディのパーツである「ムネ」はデカイ方がいいという愛の一種である。個人的に巨乳の経験はないけれど、手のひらにスッポリというのもかわいくて好きだが、手に余るというか、指のあいだからニクがはみ出る感覚というのも、きっと気持がイイと思う。
 さて、巨乳から連想して、それに近い感覚と考えられるのが「オシリ」。たしかに、手をのばせばふにゃふにゃ温かいお尻の感触は、乳首がない点を除けば巨乳的な感じかもしれない。いよいよここからが本題だ。前戯・・もとい、前置きが長いのはいつものことだからご勘弁。そのお尻ダケを集めたカタログが「HIP555」。「ヒップゴーゴーゴー」と読むのだろうけど調子がいいな。

◆ナゾの分類イミはあるのか?
 まず分類がいきなりナゾ。5つに分類されているが、「あやしい」「かわいい」「げんき」「かなしい」「うれしい」と来るから解からない。それぞれ数十枚ほどの写真と、10本くらいのムービーが集められている。とにかくお尻専門コレクション、見事なまでの匿名性に貫かれている。かわいいお尻はあっても、かわいい女の子かどうかはわからないし、動くお尻は見れても動くハダカは少ない。あくまでもお尻がメイン。ここまで徹底していると笑っちゃいますよ。
 これって何かに感じが似ているなと思ったら、あれだ、「YELLOWS」。あれはボディのカタログだが、横向きの貧相なカラダが悲しくって、もう笑うしかない。あの感覚に近いものがある。

◆エロメディア「らしさ」
 もっとも、ムービーや写真のクオリティはチープで情けないほど下品だが、その胡散臭さがデジエロっぽくってアヤしい。上品でキレイなセックスなんて自分がヤルならともかく、観るならば僕はあまり好きじゃない。アヤしく下品。そのほうがエッチ。
 個人的に言わせてもらえば、むろんお尻は好きだ。が、その裏側とか、さらに上の方とかもイイよね。

【かいせつ】
つーか、こんな作品もレビューしてましたってことで。当時のCD-ROM製品の、その8割は従来のビデオなどの焼き直しが多くて、それに簡単なインターフェイスをつけただけのディレクター作品がほとんど。まあ、それを観ることが出来たのは、MacかTOWNS、外付けCDを繋いだDosマシンだったんだけどね


94/06
「誰にも言えない」

怖いモノ見たさに買うCDは、冷たいマゾの感触がする。

●文中敬称略
 佐野史郎がさわやかに笑っているTVCFが流れたとき、ぼくは何か見てはいけないようなものを見た気がした。何かが違う何かが違う。ココロの中にモヤモヤしたものが溜まり、非常にスッキリしない、イカないセックスをした後のような気分がしてなんかヤだった。
 もちろんそれは一方的な思い込みで、冬彦&麻利夫のイメージがあまりにもキョウレツで、佐野史郎は陰湿で薄暗いイヤなやつというイメージしか思い浮かべなかったからだ。しかし、にこにこした佐野史郎を見ても妙な違和感が付きまとい、陰湿な佐野史郎を見てもイヤな感じがする。どちらに転んでもイヤがられる役者なんて、そうザラにはいない。

●佐野史郎という個性
 さて、その佐野史郎だが、「ずっとあなたが好きだった」と「誰にも言えない」での怪演というか、日本中をイヤがらせる強烈なインパクトを持つ冬彦&麻利夫を演じたおかげで全国区のネームバリューを得た、日本ではなかなか得がたいキャラクターの持ち主だと思う。佐野史郎にはオタク演らせりゃ日本一とか、お茶の間の怪人とか、イロイロ妙な形容詞がついて回るが、もちろんそれらはすべて冬彦さんが始まりだったといえるだろう。NHKで放映したコンピュータ・ウイルスを解説するちょっとカタめの番組でさえ、冬彦のエピゴーネンのようなアヤしい人を演じたほど、見かけがフツーで中身がアヤしいという役がハマってしまい、もう出てくるだけでアヤしいというイメージがある。CFでは明るく演ってはいるものの、佐野史郎の制服ともいえるサラリーマン風のスクエアな扮装をしているあたり、観る我々はともかく、作るほうも冬彦や麻利夫のイメージから完全に抜け出せていない様だが、普段着の恐怖というスペクタクルをお茶の間に提供したという功績は見逃せない。

●普段着の恐怖
 普段着の恐怖なんて言葉を使ったが、例えば嶋田久作とかルドガー・ハウアーみたいに、見た感じからしてすでにアヤしそうな人(失礼!)がアヤしいヤツを演じれば、ああ、やっぱりヤなヤツだったんだー、と、安心して?ドラマや映画を観ていられるが、佐野史郎みたいに、どこから見てもフツーのサラリーマン、だけど実は中身がヘンというのは、観るものをすごく不安にさせる。すぐ隣にいる人が何をするかわからない恐ろしさを感じさせるのだ。だから冬彦&麻利夫の恐ろしさは、あくまでも見かけはフツーな感じという点にある。普段と同じような格好で、普段と同じような顔をして、日常的な空間で、非日常的な行動をおこす。それが怖い普段着の恐怖。

●イヤなモノを反芻できるマゾなCD-ROM

 というわけで、TBSの「誰にも言えない」は、普段着の恐怖を見せてくれた同名人気ドラマのエキスパンドブックによるCD-ROM化である。
 これは、その完成度の高さにおいて、これからのエキスパンドブックの新たな指標となる可能性が高い。マッキントッシュのあるご家庭にぜひ1枚、いや2枚組みだから1組か、だまされたと思って家に置いておいてもバチはあたらない。
 そんなにホメても、TVドラマを観てなかったからわからないではないかという危惧はすぐにゴミ箱にドラッグしてポイだ。そんなのは全くお構いなしに楽しめる良質の娯楽作品だから、安心してダイジョウブ。前作「ずっとあなたが好きだった」の信じられないほど出来のいいダイジェストもついていて、至れり尽くせりの親切設計。これだけでも十分に製品として使える良質の作りにもかかわらず、なんとサービスってんだから太っ腹。
 もっとも「誰にも言えない」は陰欝でヘヴィなドラマだから、良質の娯楽と言ってもかなり後ろ向きで自虐的な娯楽だが、パソコン自体、陰欝で後ろ向きで自虐的だからまあいいか。しばらくはパソコンの前から離れられなくなること請け合いである。思わず握るマウスも汗でぬめぬめするくらい、気合いの入った陰湿な作りが日本の風土にジャストミート!。佐野史郎の怪演をパソコンのモニターで眺めるという、ヤなモノをインタラクティブに反芻するマゾ的な観賞法が楽しめるだけでも、2枚組7,800円は大バーゲン。普段着の恐怖は思いのほか安いです。

【かいせつ】
今読んでもコレおもしろいじゃん。(自画自賛)。


映画評 1994年6月

ゴダールの新作でいままでの映画の観かたから「決別」する。

ゴダールの新作、といっても多くの人は、ハスミ先生ご推薦のマリ・クレールしやがってスカすんじゃねー!映画は楽しけりゃいいんだ、イミのわからん映画なんてヤだ。という感慨を持つかもしれませんね。確かにゴダールだと、監督の作る娯楽作というよりも、作家の創る芸術作というべきかもしれません。ヨーロッパ映画なんて大抵そんなんです。大衆に媚びるハリウッドとは違い、芸術です。絵画を観るが如く、音楽を聴くが如く、というのが正しい観かたなわけです。つまり映画は「わかる・わからない」ではなく「何を感じたか」であります。ですから観賞後にはハンバーガーとか牛丼というのは避けるべきでしょう。落ち着いたカフェでエスプレッソをオーダーして、「どうもスピルバーグやO・ストーンみたいに、愛だの正義だのを押しつけるような映画は辟易してね」とかいいながらココロのなかで静かに反芻するのです・・・。
スゲーむねやけしたりして・・・。

「ゴダールの決別」 HELAS POUR MOI
1993年/フランス
配給・コムストック
銀座テアトル西友にて7月よりロードショー

 

【かいせつ】
そういえば、みんなが面倒くさがるヨーロッパの映画を結構書いてたなあ。ちと恥ずかしいけど。ちなみに当時は、試写会とかを自分で申し込んで、抽選で当ったら観に行ってそれを書くという、なんとも凄いシステムでありましたな。メーカーからの招待もなく、まだCD-ROMというメディアが、一般的でなかったということなんだろう。


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